そもそも著作権とは?
自分は法律家でもなんでもないし、知識もありません。
ただ30年ほどデザインの業界、テレビ関連の仕事に身を置いていて、先日のツイッターでの著作権の所存の一件のいきさつをみて思うところがありました。
デザインの著作権
経験上、デザインに関して著作権がどうのといった話は、ロゴマークなどに関してはロゴマークの保有者、つまり基本デザイナーではなく、デザインを発注したクライアントからの主張は見たことがありますが、デザイナーからはあんまり聞いたことがありません。
厳密に考えるとあってもおかしくはないと思いますけど。
さらにテレビ放映用に作成したオープニングアニメーションなど、音楽であれば再放送のたびに報酬が支払われるのに対して、モーショングラフィックで再度報酬をもらったことはありません。
クライアントがいないと存在すらできないデザイナーの特性なんだと思いますが、デザインに関してはあまり縁のない話なんでしょうね、著作権って。
著作権という観点ではデザイナーってあまり儲かる職業ではないのかも。
これは聞いた話ですが、料理のレシピにも著作権は存在しないそうです。
そりゃ、塩がこのくらいとか、しょうゆがどうのとか、そこに著作権を付与するのはちょっと無理がありますね。
写真の著作権
写真の著作権の所存はよく聞く話です。モデルがいると今度は肖像権というのもあります。
これも聞いた話ですが、写真に関しては大きな前提がない限り写真家に権利が回帰するという話を聞いたことがあります。
これがデジタル画像という形で存在するだけなら、まだわかりやすいです。こういった作品がウェブで公開(紹介)されていたらどうでしょうか?
これがあくまで紹介だったとしても、ウェブというメディアはダウンロードして閲覧するというのが基本構造です。
と、いうことは見ている瞬間に、読者はデータ自体を入手していることになります。
そう、著作権もへったくれもない状態です。みている状態ですくなくとも見ている解像度で、すでに見た人は手に入れてしまっているわけです。
もともと自分はあまり、テリトリー感をもっていない生き物でflickrにある自分のアカウントも全部自由に使ってください、というCC0に設定してあります。
と、いうのも写真そのものもカメラメーカーの技術がないと実現できないことですし、もちろんお金を払って買ったカメラですけど、まぁある程度人類の知の共有というところで、基本は無料で共有で良いかなという感覚があるからです。
もちろん反論もあるのも理解できます。
この辺は個人の感覚にたよるところだと思います。
写真の中には被写体になったモデルの考えなど、やはり全員に共有するべきではないという場合もあって、そういうものは最初からウェブサイトやその他のインターネット上のメディアに一切公開するべきではありません。
いかなる形でも、自分の撮影した写真が利用されるのが嫌であれば、ウェブで公開するべきではないと思います。
ただ創作者としてどうあるべきかということを筆者はいつも考えます。
このあたりの考え方は料理研究家として有名な栗原はるみさんから学びました。
彼女の料理は本当においしいし、うつくしい、なぜか?
その根底にあるのは、おいしいごはんを自分のすきな人たちに喜んでもらいたい。
それだけで、それこそがクリエイターとして正しい考えで欲であるんだと思います。
音楽の著作権
ややこしそうです。
自分は昔ミュージシャンと良く仕事をしていました。
当時はペーペーなので真剣に考えたことはありませんでしたが、なるほど音楽って数学的に考えると微妙にパターン化してくる。
でも演奏パターンは無限大。では、再現可能な電子音楽は?自分の理解の範疇をかるく超えてます。無理です。。。
これからのクリエイターたちへ
いつだか、東京藝術大学の講義で口走ってしまいましたが、あんまり著作権とかで考えるのは、作り手としてちょっと不健康かも、と。
自分はデザインをやって写真も撮影して音楽も作ります。趣味で油彩もやります。
そんな自分から見ると、たまたま今という時間に生きているけどもちろん先人たちの影響を大きく受けている、それって自分ひとりで作ったというのは錯覚かもしれなくて強く主張しても、自分が得た満足いく結果は先人たちのエッセンスがなければできなかったかもしれない。
便利で仕方がないインターネットがさらに創作という所作に課題を与えている気がします。
早い話インターネットの技術は著作権に対してはいまのところ無力であるということです。